当事務所は過去数十年の間、相続の専門家と標榜しておりますが、なぜ言い切ることができるのでしょうか。
当事務所が地盤としております鹿児島市南部・谷山地区において1960年〜2000年頃までの行政書士や司法書士、土地家屋調査士などの士業業界、あるいは金融機関、不動産業界に詳しい人ならば、谷山地区において当事務所初代・庭田時治が相続業務量はトップであると、自他ともに認める存在であったことはご存知だと思います。
扱った事例は数万件に及びます。
また当時、谷山地区の金融機関や不動産業の方々に、行政書士・司法書士として『御三家』と言われておりましたのが私の父・庭田時治、坂元時則先生、柏木万寿子先生の3人であったことも有名な話です。
その当時、仕事は余るほどある時代でしたので、御三家3人は、お互いライバルではあっても、仲が良く、時どきの食事会を通して、それぞれ売り上げ、納税額など情報交換していました。
誠にほのぼのとした時代でした。
今では考えられませんが、法務局職員との飲み会なども結構ありまして、当時補助者だった私も同席したことは数え切れないくらいです。
その席で、法務局の職員はじめ他の先生方から、相続関係は庭田さんがダントツだと言われたものです。
銀行関係の業務ダントツは柏木先生でした。
柏木先生はその母上も司法書士をしておられた名門でした。
坂元先生はどこかにお勤めの後、若くで開業されたと聞いております。
ライオンズクラブに初期の頃から入っておられ、会長も務められました。
その効果もあったのでしょう、会社関係の業務が多かったです。
なにゆえ、相続業務が多かったかと言いますと、父は車の免許を持っておりませんでした。
多忙のため自動車学校に行けなかったのです。
生前父は自動車学校に行けたら良かったけどなぁと何度か言っておりました。
しかし、何が幸いするか分かりません。
父が常に事務所にいるので、口コミで自然に相続・贈与を中心とした個人のお客様の資産関係業務が増えて行ったのです。
ただし、相続業務は面倒な上に時間がかかります。
それに引き換え、他の事務所の先生方は車があるものですから行動力があり、銀行、不動産屋さんの事務所に行って、効率的に仕事をするわけです。
そのかわり、ご相談のお客様が訪ねて行かれてもご不在のこともあり、自然と当事務所に個人のお客様が増えて行ったのです。
ただし、売り上げは銀行、不動産屋さん関係の仕事の方が上がっていたと思います。
なぜなら、回転が早いからです。
その後、父の後を受け継ぎました私・庭田正治は未来の社会状況を研究し、数十年後は相続に強いことが当事務所の強みであると確信しました。
そのような経緯で面倒ではあっても相続業務に特化したわけであります。
2015年から相続税が上がったこともあり、金融機関、士業界、不動産・建築業界などあらゆる業界が相続業務に力を入れだしました。
無料セミナー、無料相談会、まことにはなばなしい限りです。
しかし、私が思うに、相続業務がそんなに簡単に宣伝で受託できるものでしょうか。
相続業務を行うには、長い経験に基づく強い信頼関係が必要だと私は考えます。
さてさて、話が長くなりました。
御三家全員鬼籍に入り、後継ぎがいるのが当庭田総合事務所のみとなりましたので、
ご両名の事務所のお客様が時々、当事務所に仕事を依頼してくださいます。
まことにありがたいことで、天に向かって合掌しております。
この文章は子孫の方に対する思い出として、また尊敬の念を表するため書いておきました。
合掌
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